タキシードグッピーの職人 [グッピー偉人伝]

 私の前の世代のブリーダー、田中一年さんは’60年代後半から’80年代まで地道に継続されたブリーダーで作出魚はほぼタキシードグッピーオンリーでした。
 リアルタイムでは見ていないのですが各地のグッピーで優勝入賞されたグッピーは当時唯一の情報源のフィッシュマガジンに掲載されていました。それを見るためにバックナンバーを探し回ったものです。作られる魚はどれも圧倒的にクールでカッコよく見えました。
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 第4回誌上グッピーコンテスト優勝魚(フィッシュマガジン 1969年11月号表紙)
 https://hanayan-guppy3.blog.ss-blog.jp/2010-02-14
 私はこの号の発行の10年ほどあとにこれを入手したのですがそれでも衝撃を受けたものです。そののちピーシーズのグッピー本制作時に別カットを表紙に使いたかった、と故筒井氏に聞いたことがあります。

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 これは第7回誌上グッピーコンテスト優勝魚 (1973年5月号)
 フィルムカメラの時代にグッピーを写真に収めることすら相当の技量がないとできなかったのです。当時の紙面では尾の黒斑が濃い緑に見えます。

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 関西グッピークラブ優勝魚(1973年7月号)
 尾びれの色が進化しています。当時は黄色系と白色系がいたと記憶しています。ドイツイエロータキシード(当時の名称)は虚弱で作りにくい魚とされていたのですがそれが優勝したことが快挙だったのです。
 私達の世代のグッピーマニアには憧れの存在で遠い目標でした。

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 ダイヤモンドグッピーコンテスト優勝魚 (1982年9月号)
 少しの休止期間を経て新たに作られた魚です。
 この魚は会場で実際に見ましたが写真よりも数段素晴らしくてコンテスト会場で圧倒的に抜きんでていたものです。1884年12月号のグッピー特集号の表紙も飾っています。
 私はこの前年に大阪のご自宅に押し掛けてグッピーを見せていただき、以後折々気にかけていただきました。

 2021年9月亡くなったとの報せがありました。88歳。ドイツイエローは一時飼育者2名になっていた時期があり田中氏が今に繋いだ功労者でもあります。先達に最大の敬意を表しここに掲載させていただきました。

 
 

 
 
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アンディ

憧れます。やはりあの時代、黎明期の日本のブリーダーさん達が試行錯誤して、今に繋がっていますね。今日、偶然にも68年のFLが全て今の私のグッピーだとSNSにアップしたとこでしたので、ビックリしました。
by アンディ (2022-01-16 20:58) 

花やん

アンディさん、コメントありがとうございます。奇しくも連動しましたね。自分は’75年以前の魚は雑誌で知るのみですが、この時代はまだまだ形質が安定していなかったのでいろんな魚がいたようで数少ない写真を見るだけで楽しいですね。
 ’73年のオイルショック以降数年でグッピーブリーダーはあっという間にほとんどいなくなり、多くの形質が失われました。
 それ以前と以後の系統的な繋がりはほとんどなくなってしまいました。田中さんはその中で実直に地道に自分の魚を作られている印象です。
by 花やん (2022-01-16 22:39) 

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